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松栄印刷所のはじまり

創業者夫妻

創業者
創業者である森貞孝は、戦後まもなく自宅でガリ版屋を始めた。
それが松栄印刷所の始まりである。

ガリ版屋を始める前
その当時は松山市の隣村であった余戸村の農家の出身であった。余土小学校を卒業、愛媛師範学校(現愛媛大学教育学部)に進み、卒業後は高浜小学校で教員をしていた。しかし肺結核を患い短い期間(二年ほど)で退職し、その後見奈良の療養所や自宅等で苦しい闘病生活を送った。何度か入退院を繰り返すが、いくつかの幸運のおかげで奇跡的に回復した。
その幸運とは
見奈良の療養所で病状が悪化しどうしても手術が必要になってしまった。しかしその当時手術をして助かる見込みは非常に低かった。そうして手術の日が来たとき、なんと撮ったはずのレントゲン写真が無くなってしまっていた。しかたなく手術日がおくれてしまうのだが、その間に中学校の同級生の一人が医者になっており、その医者が進駐軍から抗生物質を入れ(おそらく正式な方法でなく)届けてくれた。その薬で手術回復することができ、松山で初めての抗生物質による手術の成功者になった。
しかし病手術は成功したものの、肋骨を折って肺の機能をなくしたため背骨が曲がり、肺も半分になっていたため、体力はなく(身体障害者手帳を交付されていた)戦後の混乱期でもあり生活に苦労した。

ガリ版屋を始めたころ
ガリ版屋は力仕事でもなく、体力がなくてもできるしごとでもあり、とりあえずはじめてみた。
設備投資といっても鉄筆と鉄ヤスリに謄写版という簡単な印刷機があり、戦災、闘病生活で多くの資産を無くしてしまってはいたがなんとか細々と仕事をはじめるはできた。

創業後
創業後は日本の戦後の復興による印刷需要の拡大、そして元同級生である教員たちの援助もあり、教育関係を中心に順調に仕事を増やしていけた。
また妻の実家が市街地である萱町(現在の三番町7丁目)にあったのも幸いし、そこに間借りして事務所を開設した。個人のガリ版屋さんからだんだん会社らしくなっていった。ちょうど日本の戦後復興と重なるように。

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